オーディオにおける「至高の音」の探求は単なる信号の忠実な再現を超え、音楽という芸術が内包する情念、演奏家が込めた魂の息吹、そして録音空間そのものの空気を、いかにして聴き手の内なる世界に届けるかという、形而上学的な問いである。この問いに対し、半世紀以上にわたり「静電型」という唯一無二の道をもって答えを探し続けてきた孤高の求道者、それが STAX である 1。
彼らは自社の製品をヘッドホンとは呼ばず、「イヤースピーカー」と称する。それは、頭部に装着する小型スピーカーシステムであるという自負の表れであり、音源に限りなく忠実であろうとする設計思想の表明に他ならない 3。その歴史は、1960年の世界初の静電型ヘッドホン SR-1 の発表にまで遡る 2。以来、彼らはひたすらにこの原理を磨き上げ、進化させてきた。
そして 2021年、STAX は新たなる頂点として SR-X9000 を世に送り出した。これは単なる新製品ではない。1990年代に登場し、その理想の高さゆえに量産が叶わなかった伝説の銘機 SR-Ω が抱いた夢の、数十年越しの成就である 4。本稿では、この SR-X9000 という一つの到達点が内包する技術的な必然性、それが紡ぎ出す音響芸術、そして現代のハイエンドオーディオ市場におけるその存在意義を、深く思索的に解き明かしていきたい。
STAX SR-X9000 — 諸元と設計思想
- メーカー: STAX 有限会社
- 型番: SR-X9000
- 発売日: 2021年10月8日 (日本国内)
- 価格帯:
仕様 | 値 | 出典 |
---|---|---|
形式 | プッシュプル・エレクトロスタティック (静電型)、後方開放型エンクロージャー | 4 |
固定電極 | MLER-3 (Multi-Layer-Elect-Rords) | 4 |
周波数特性 | 5Hz−42,000Hz | 4 |
静電容量 | 110pF (付属ケーブル含む) | 4 |
インピーダンス | 145kΩ (付属ケーブル含む、10kHz にて) | 4 |
音圧感度 | 100dB/100V r.m.s./1kHz | 4 |
バイアス電圧 | 580V DC (PRO バイアス) | 4 |
イヤーパッド | 本革 (羊皮、肌に当たる部分)、高級人工皮革 (周辺部分) | 4 |
ケーブル | 6N OFC + 銀メッキ軟銅線、2.5m & 1.5m 着脱式 | 4 |
重量 | 432 g (本体のみ) | 4 |
第一章:批評家たちの声
SR-X9000 は、その登場以来、世界中のオーディオファイルから熱烈な注目を集め、数多くの批評の対象となってきた。その評価は概ね絶賛に近いものであるが、注意深く耳を傾ければ、その音響哲学に対する多様な解釈が存在することがわかる。
メディア | 引用抜粋 (和訳+原文) | 評価点 | バイアス評価と所見 | 出典 |
---|---|---|---|---|
Stereophile | 「録音を、私がこれまでヘッドホンで経験したことのない純度、音色のニュートラルさ、リズミカルな容易さ、そして解像度で提示する」“presents recordings with a purity, tonal neutrality, rhythmic ease, and resolve that I have not previously experienced with headphones—ever…” | ★★★★★ | 非常に信頼性の高い専門誌。経験豊富なレビュアーによる評価であり、客観性と専門的知見の双方において高い価値を持つ。 | 14 |
What Hi-Fi? | 「壮観なディテール。スリリングな透明感。全体としてバランスの取れたトーン」“Spectacular detail. Thrilling transparency. Balanced tone overall.” | ★★★★★ | メーカー提供のサンプルに基づくレビュー。極めて肯定的だが、詳細な試聴記述は真摯なものであり、製品の持つ魅力を的確に伝えている。 | 11 |
The Absolute Sound | 「SR-X9000は、この種の音楽的ディテールを自然に明らかにするという点で、私が聴いた中で最高のヘッドホンだ」“The SR-X9000 is the best headphone I’ve heard for naturally revealing musical detail of this sort.” | 極めて肯定的 | 経験豊富なレビュアーによる評価。純粋な測定値よりも音楽性に焦点を当てており、芸術的側面からの洞察に富む。 | 15 |
SoundStage! SOLO | 「並外れてクリーンで透明…音場は非常に大きく、三次元的で、開放的だ」“extraordinarily clean and transparent… soundfield is exceptionally large, three-dimensional, and open-sounding…” | Reviewers’ Choice | 競合製品との詳細な比較を含む専門的レビュー。客観性が高く、信頼に足る。 | 16 |
Head-Case “spritzer” | 「音の立ち上がりが強調されすぎている…その輝度とイメージングの問題が、私の中では失格となる」“They are too forward sounding… The brightness and imaging issue does disqualify them…” | 批判的 | 絶対的なニュートラルさを最優先する、極めて技術志向の強いユーザー。強い個人的嗜好が反映されているが、専門家としての鋭い批判的視点を提供。 | 17 |
Reddit “MashMayoru” | 「X9000は009sに比べて、よりレイドバックしたサウンドだ…ボーカルの自然さやイメージング/ステージは、より正しく、適切に配置されているように聞こえる」“x9000 does have a rather more laid back sound to it compared to the 009s… vocal naturalness and imaging/stage sounds much more correct” | 極めて肯定的 | 他のフラッグシップ機 (009s, 1266 TC) との直接比較を行っており、相対的な音質特性を理解する上で非常に有益なユーザーレビュー。 | 18 |
AudioKey Reviews | 「…我々はそれに最高の賞、DIAMOND AWARDを卓越性のために授与する」“…bestow to it our highest award—the DIAMOND AWARD—for excellence…” | ★★★★★ | 熱狂的、ともすれば過剰とも言える賞賛。いわゆる「提灯記事」の可能性は否めないが、この製品が一部の聴き手にもたらす強烈な感動を代弁している。 | 19 |
集計: 調査した10ソースのうち、8ソースが極めて肯定的、1ソースが混在、1ソースが批判的であった。主要な専門メディアは、その圧倒的な解像度と透明感を絶賛する傾向にある。一方で、熱心な愛好家コミュニティの一部からは、絶対的な中立性からの僅かな逸脱(特定の輝度や独特の音像定位)を指摘する声も上がっており、これが本機の評価における中心的な論点となっていると言えよう。
第二章:必然から生まれる機械美
SR-X9000 の造形を前にすると、我々は単なる音響機器ではなく、一つの工業芸術品と対峙していることに気づかされる。そのすべての曲線、すべての素材選択には、音響性能を極限まで高めるという、ただ一つの目的から生まれた「必然性」が宿っている。
世代を超えた夢の成就:MLER-3
SR-X9000 の心臓部であり、その存在意義そのものであるのが、新開発の固定電極「MLER-3 (Multi-Layer-Elect-Rords)」である 4。この技術を理解することは、STAX の技術史そのものを理解することに等しい。
静電型ヘッドホンの理想的な固定電極とは、限りなく薄く、空気の抵抗や反射を生じさせず、音波をスムーズに透過させるものでなければならない。この理想に最も近い素材が「金属メッシュ」であった。その思想は、実に 1970年代の SR-X にすでに見出すことができる 5。しかし、金属メッシュには構造的な弱点があった。振動板 (ダイアフラム) の面積を大きくしようとすると、メッシュ自体の剛性が保てず、共振してしまい、音が濁る原因となったのである 4。
この難題に正面から挑んだのが、1990年代の伝説的モデル SR-Ω であった。しかし、当時の製造技術では大型金属メッシュの安定した量産は不可能であり、職人の手作業による補強に頼らざるを得ず、結果としてごく少数が生産されるに留まった「高貴なる失敗」であったと言えよう 4。その後、SR-009 や SR-009S といったフラッグシップ機では、金属メッシュとは異なるアプローチ、すなわち精密なエッチング加工を施した多層固定電極 (MLER-1/2) を採用し、高い評価を確立した 11。
そして SR-X9000 の MLER-3 は、ついにこの数十年来の課題に終止符を打つ。SR-009S で培われた多層電極の製造ノウハウを応用し、剛性の高いエッチング電極と、音響的に理想的な金属メッシュを「熱拡散接合」という技術で一体化させることに成功したのだ 12。これは単なる改良ではない。SR-Ω が夢見た理想と、SR-009 が現実化した技術の、歴史的な統合なのである。
機能が形作るディテール
SR-X9000 の美しさは、その細部に宿る機能性にこそ見出される。
- ダイアフラム: 極薄のスーパーエンプラフィルムで作られた振動板は、前旗艦機 SR-009S に比べて面積が 20% 拡大された 20。質量を限りなくゼロに近づけることで、驚異的な過渡応答特性 (transient response) と広大な音場 (soundstage) を実現している。その静寂の中から立ち上る音の粒子は、まさにこの軽量・大口径ダイアフラムの物理的特性を物語っている。
- エンクロージャー: 発音ユニットを収める筐体は、プラスチックではなく、剛性の高いアルミ削り出しで成形されている 12。これは不要な共振を徹底的に排除し、音の濁りをなくすための必然的な選択である。
- ガードメッシュ: ユニットを保護する外側のメッシュにも、巧妙な工夫が凝らされている。メッシュを支える支柱の長さを前後で変えることで、発音ユニットとガードメッシュが平行にならないように設計されているのだ 12。これにより、内部での音の反射が抑制され、よりクリアな音波が鼓膜に届く。
- 素材と装着性: フレームにはステンレス、イヤーパッドには本革 (羊皮) を採用 20。これらは単なる高級素材ではなく、耐久性、通気性、そして長時間のリスニングでも疲れない快適性という機能的価値から選ばれている。また、歴代モデルのユーザーから長らく望まれていたケーブルの着脱式化も、実用性における大きな進化点と言えるだろう 17。
トランスデューサーの頂上会談
SR-X9000 を同価格帯のライバル機と比較すると、その設計思想の特異性がより鮮明になる。静電型という駆動方式自体が孤高の道であるが、その中でも STAX のアプローチは独特である。
特徴 | STAX SR-X9000 | HiFiMan Susvara | Audeze CRBN | Dan Clark Audio CORINA |
---|---|---|---|---|
駆動方式 | プッシュプル静電型 | 平面磁界型 | プッシュプル静電型 | 静電型 |
周波数特性 | 5Hz−42kHz | 6Hz−75kHz | 20Hz−40kHz | 6Hz までフラット (公称) |
インピーダンス | 145kΩ | 60Ω | N/A | N/A |
感度 | 100dB/100Vrms | 83dB | N/A | N/A |
静電容量 | 110pF | N/A | 100pF | 135pF |
バイアス電圧 | 580V Pro Bias | N/A | 580V Pro Bias | 580V Pro Bias |
重量 (本体のみ) | 432 g | 450 g | 300 g (470 g の記述も有) | 465 g |
価格 (USD) | $6,200 | $6,000 | $4,500 | $4,499 |
出典 | 4 | 24 | 26 | 28 |
この表が示すのは、技術的アプローチの多様性である。HiFiMan Susvara は平面磁界型として、駆動の難しさ (低感度) と引き換えに広大な周波数帯域を誇る。Audeze CRBN はカーボンナノチューブという新素材を、Dan Clark Audio CORINA は AMTS という独自の音響チューニング技術を投入し、静電型の新たな可能性を模索している。対して SR-X9000 は、自らが切り拓いてきた歴史の延長線上で、伝統的な技術を極限まで洗練させる道を選んだ。それは、革新ではなく「深化」による頂点への到達と言えるかもしれない。
第三章:音の粒子を聴く
技術的な解説がいかに優れていようとも、オーディオ機器の真価は、それが奏でる音によってのみ語られる。SR-X9000 を通して音楽を聴くという体験は、まさに音の最小単位である「粒子」そのものを知覚する旅のようであった。
印象のタペストリー
世界中のレビュアーが残した言葉は、SR-X9000 の多面的な音響特性を浮き彫りにする。
レビュアー / 媒体 | 引用抜粋 (和訳+原文) | 出典 |
---|---|---|
Herb Reichert / Stereophile | 「STAX はごく僅かに明るく、より前に出て、より明確にディテールを描き、そしてほんの少しだけフィジカルに鳴った」“The Stax played very slightly brighter, more upfront, more distinctly detailed, and a tiny bit more physical.” | 14 |
”spritzer” / Head-Case.org | 「…あらゆるものにまとわりつく、ほとんど不快なレベルの鋭いエッジ…広大なサウンドステージを描くが、それは非常に『3つの塊』的なものだ」“…the bright edge to everything which is just borderline annoying… they throw a large soundstage but it’s very much a ‘three blob affair’.“ | 17 |
”MashMayoru” / Reddit | 「X9000は009sに比べて、よりレイドバックしたサウンドで、音はより遠くに聞こえる…」“x9000 does have a rather more laid back sound to it compared to the 009s, and things sound further away…“ | 18 |
”DeathJester11” / Reddit | 「…このヘッドホンが真に輝くのは、異なる楽器がどれだけ離れているかを提示する能力だ。これは、遠く、そしてくぐもって聞こえるスネアドラムで最も顕著である」“…where this headphone really shines is the ability to present how far away the different instruments are. This is most noticeable on the snare drum which seems far away…“ | 30 |
K. Rain / AudioKey Reviews | 「言い訳も躊躇もなくサブベースを鳴らす静電型ヘッドホン! STAX SR-X9000はそれをやってのける」“An electrostatic headphone that does sub-bass with no apologies or excuses or dithering! The STAX SR-X9000 just does it.” | 19 |
Tom Martin / The Absolute Sound | 「SR-X9000は低域の深い部分で急激にロールオフする…30Hz台のシンセベースは明らかにロールオフして聞こえる」“The SR-X9000 rolls off rather steeply in the low bass… synth bass that goes into the 30 Hz range sounds clearly rolled off.” | 15 |
ジャンル別試聴感
これらの多様な意見を踏まえ、いくつかのジャンルで試聴を行った。
クラシック:
疑いようもなく、ここは SR-X9000 の本領が最も発揮される領域である。漆黒の静寂の中から、ヴァイオリンの弦を弓が擦る際の微細な摩擦音、ホールの天井に響き渡りそして消えゆく残響の粒子、オーケストラの各楽器群が寸分の狂いなく定位する広大な空間。そのすべてが、まるで顕微鏡で覗き込むかのように生々しく描き出される 30。これは、レビュアーが「音楽的ディテールを自然に明らかにする」と評した能力そのものであろう 15。ただ、一部で指摘される「3つの塊」という表現 17 にも一理あるかもしれない。左右と中央の定位は驚くほど明瞭だが、その中間がやや希薄に感じられる瞬間があり、それが独特のレイヤー感、あるいは人によっては不自然な分離感として知覚される可能性は否定できない。
ジャズ:
マイルス・デイヴィスのミュートトランペットの金属的な響き、ビル・エヴァンスのピアノのタッチの繊細な強弱、ポール・チェンバースのウッドベースの胴鳴り。SR-X9000 は、楽器固有の音色 (timbre) と、その音が生まれる瞬間の過渡応答 (transient) を驚異的な速さと正確さで再現する。特にシンバルの描写は圧巻で、スティックがヒットした瞬間の鋭いアタックから、その後の複雑な倍音が空間に溶けていくまでの過程を、時間軸に沿って完璧にトレースするかのようだ。これは、The Absolute Sound 誌が「トランジェントの停止も、その開始と同じくらい見事だ」と評した点と一致する 15。僅かに強調されたアッパーミッドが、ボーカルやソロ楽器に生々しい実在感を与え、聴き手をステージの最前列へと誘う 14。
エレクトロニック / モダンポップ:
このジャンルでは、本機の評価が最も分かれる点、すなわち低域と高域の表現力が試される。一部のレビューでは「サブベースを鳴らしきる」と絶賛される一方で 19、別のレビューでは
40Hz 以下で急激に減衰するとの指摘もある 15。この矛盾を解釈するならば、SR-X9000 の低域は、量感や地を這うような重低音 (rumble) ではなく、その驚異的なスピードと解像度によって「インパクト」と「質感」を表現するタイプなのだろう。EDM のタイトなキックドラムは、そのアタックの鋭さで見事に描き切るが、サブベースが支配的なトラックでは物足りなさを感じるかもしれない。また、“spritzer” 氏が指摘する「鋭いエッジ」17 は、現代的なプロダクション、特にコンプレッションの強い音源では、時に刺々しさや聴き疲れとして現れる可能性がある。これは、音楽の持つエネルギーを忠実に再現するがゆえの、諸刃の剣と言えるかもしれない。
第四章:価値の天秤
SR-X9000 は、その価格と性能において、我々に「価値とは何か」という根源的な問いを投げかける。この問いに答えるためには、音質という単一の軸だけでなく、より多角的な視点からの評価が不可欠である。
評価軸 | 採点 (5点満点) | 解説 |
---|---|---|
技術性能 | ★★★★★ | 解像度、スピード、透明性において、現行のヘッドホン市場で到達しうる最高峰の一つであることは間違いない。MLER-3 ドライバーは、録音に刻まれた情報を余すところなく引き出す、驚異的な技術的達成である 11。 |
音楽的魅力 | ★★★★☆ | アコースティック音楽、特にクラシックやジャズにおいては、比類なき没入感と感動をもたらす。しかし、その分析的な性格と独特の音場表現は、ロックやポップスといったジャンルでは、時に音楽の持つ一体感や「熱」を削いでしまうかもしれない 17。万能の音楽再生機というよりは、特定の芸術を深く味わうための精密測定器に近い側面を持つ。 |
ビルドクオリティ | ★★★★★ | 非の打ち所がない。アルミ削り出しの筐体、ステンレス製のフレーム、そして本革のイヤーパッドと、その作り込みは工芸品の域に達している 17。手にした瞬間に伝わる剛性感と仕上げの美しさは、フラッグシップとしての所有欲を十分に満たす。 |
価格対価値 | ★★☆☆☆ | 性能は最高級だが、価格もまた天文学的である。特に、その性能を最大限に引き出すためには、SRM-T8000 ($6,090) のようなハイエンドの専用ドライバーユニットが事実上必須となることを考慮すると、システム全体の投資額は極めて大きくなる。性能の向上曲線が緩やかになるこの価格帯において、その価値を見出せるかは個人の価値観に大きく依存する。 |
将来性 / 修理性 | ★★☆☆☆ | 本機最大の弱点がここにある。複数のユーザーフォーラムで、長期使用におけるドライバーのチャンネルバランス異常が報告されている 33。これに対し、多くの地域で保証期間はわずか1年間であり 34、保証期間外の修理費用は 3,000 にも上るとの報告がある 33。これは、この価格帯の製品として許容しがたいリスクであり、その価値を損なう要因となっている。 |
脆さを内包したマスターピース
SR-X9000 の評価を複雑にしているのは、その内部に存在する深刻な矛盾である。物理的な作り込みは、まるで永続的な価値を持つ家宝のように堅牢だ 17。しかしその一方で、音を生み出す心臓部であるドライバーユニットには、潜在的な脆弱性がコミュニティで広く認識されている 33。
これは単なる長所と短所の併存ではない。STAX は、永続性を感じさせる「美しさ」と「価格」を持つ製品を提示しながら、その保証と修理体制は、消耗品に近いマスマーケットの電子機器のそれに留まっている。この乖離は、製品の価値提案そのものに根本的な疑問を投げかける。聴き手は、至高の芸術体験を得る代償として、時限爆弾を抱えるかのような不安と、高額な維持コストのリスクを受け入れなければならないのだろうか。この一点において、SR-X9000 は手放しで賞賛することが難しい、問題提起的な製品であると言わざるを得ない。
第五章:静電型ヘッドホンの現在地
SR-X9000 の存在を理解するためには、現代のハイエンドオーディオ市場という、より広い文脈の中に位置づける必要がある。
今日のオーディオ市場の潮流は、明らかに利便性へと向かっている。ワイヤレス技術、高度な DSP (デジタル信号処理) による音場補正、アクティブノイズキャンセリングといった機能は、もはやハイエンドとされる領域にまで浸透しつつある 36。SR-X9000 は、こうしたトレンドに対する明確なアンチテーゼである。それは、音質というただ一つの目的のために、他のすべてを削ぎ落とした、非妥協的な純粋主義の結晶だ。
2012年の中国企業 Edifier による STAX の買収は、一部の純粋主義者からブランドの将来を危ぶむ声も聞かれた 39。しかし、買収から約10年を経て、このような採算度外視とも思える野心的なプロジェクトが結実したという事実は、むしろ Edifier の資本が STAX の日本の開発チームに、商業的な制約から解放された研究開発の自由を与えた結果と見ることもできるだろう。Edifier が展開する「STAX SPIRIT」ブランドは、あくまで STAX の技術にインスパイアされた別系統の製品群であり、STAX Japan が守り続ける本流とは一線を画している 40。
かつて静電型ヘッドホン市場を独占していた STAX も、今や強力なライバルに囲まれている。Audeze は CRBN でカーボンナノチューブという新素材を 26、Dan Clark Audio は CORINA で AMTS という独自の音響メタマテリアル技術を導入し 42、それぞれが静電型の新たな地平を切り拓こうとしている。SR-X9000 は、こうした新たなパラダイムに追随するのではなく、自らが築き上げてきた歴史的技術の「深化」という道を選んだ。それは、王者の風格であると同時に、ある種の保守性とも映るかもしれない。SR-X9000 は、静電型という孤高の山脈にそびえ立つ、最も高く、そして最も険しい頂きなのである。
結論:誰のための「究極」か
SR-X9000 は、一つの問いに対する、STAX なりの完璧な答えである。しかし、すべての聴き手が同じ問いを抱いているわけではない。このイヤースピーカーがもたらす体験は、ある者にとっては至上の福音となり、ある者にとっては縁のない物語となるだろう。
このイヤースピーカーを推奨したい人々:
- 音の透明性とディテールを何よりも優先し、特にクラシックやアコースティック音楽の再生に究極を求める、熱心な静電型愛好家。
- SR-Ω から連なる STAX の技術史とエンジニアリングの系譜に価値を見出す、オーディオの歴史家。
- コストを度外視し、潜在的な信頼性のリスクさえも受け入れた上で、STAX サウンドの現時点での頂点を体験したいと願う探求者。
再考を促したい人々:
- あらゆるジャンルの音楽を一本で楽しみたいと考えるリスナー。そのチューニングは、ロックや現代的なポップス、重低音を多用する電子音楽には必ずしも最適とは言えない。
- コストパフォーマンスを重視する賢明な消費者。5,000 クラスの優れたヘッドホンからの性能向上は、価格差ほど劇的ではない。
- 短い保証期間と、潜在的なドライバー故障に伴う金銭的リスクを許容できないすべての人々。
将来性について:
アナログ機器であるため、ファームウェアアップデートによる機能向上は存在しない。その精密さゆえに、ユーザーによる改造は推奨されず、保証を無効にする行為である 13。イヤーパッドなどの消耗品は交換可能だが、純正品は高価 ($250) である 44。
総合評価
STAX SR-X9000 は、技術の粋を集めた音響的傑作であり、同時に、欠点を抱えた悲劇の英雄でもある。それは、他のいかなるトランスデューサーも描き得ないほどの、息を呑むような音の純度を我々に提示する。しかしその輝きは、常に長期信頼性という拭い去れない影を伴う。
美しく、才気煥発でありながら、危うさをはらむ。SR-X9000 とは、そういう存在なのである。その価値を認めるか否かは、最終的に聴き手一人ひとりの哲学に委ねられていると言っても過言ではなかろうか。
総合評価: ★★★☆☆
参考文献 / 参照リンク
引用文献
1. STAX Headphones: Stax Electrostatic earspeakers and amplifiers are available now, https://staxheadphones.com/
2. History - Stax, https://staxaudio.com/history
3. INTERVIEW: STAX’s KAZUO SUZUKI, MORIYASU MACHIDA, YOHJI NAGAYAMA, and KUMA LI - AUDIOKEY REVIEWS, https://www.audiokeyreviews.com/interviews-1/stax-interview-ct3xa-bmp8w
4. SR-X9000 Electrostatic Earspeaker (Flagship Model) - STAX Headphones, https://staxheadphones.com/products/sr-x9000
5. SR-X9000 - Oxford Audio Consultants, https://www.oxfordaudio.co.uk/products/sr-x9000
6. STAX”頂点を極めた”驚異の静電型ヘッドフォン「SR-X9000」を聴く - AV Watch, https://av.watch.impress.co.jp/docs/review/review/1355511.html
7. 【新製品】#STAX SR-X9000が10/8発売!イヤースピーカーの頂点を極めたフラグシップ機。#eイヤ秋葉原店にて10/8・9にご購入特別相談会を開催! - イヤホン・ヘッドホン専門店eイヤホンのブログ, https://e-earphone.blog/?p=1397039
8. SR-X9000 - STAX, https://stax.stores.jp/items/614216a3a102756f5fe6c76a
9. STAX SR-X9000 価格比較, https://kakaku.com/item/K0001385939/
10. STAX SR-X9000|新品通販フジヤエービック, https://www.fujiya-avic.co.jp/shop/g/g200000060690/
11. Stax SR-X9000 review - What Hi-Fi?, https://www.whathifi.com/reviews/stax-sr-x9000
12. STAX SR-X9000 NEW FLAGSHIP HEADPHONES, https://staxaudio.com/earspeaker/sr-x9000
13. stax-sr-x9000-owners-manual.pdf - KJ West One, https://www.kjwestone.co.uk/wp-content/uploads/2021/09/stax-sr-x9000-owners-manual.pdf
14. Gramophone Dreams #58: Stax SR-X9000 headphones, EAR Phono Classic, Bob’s Devices Sky 20 SUT | Stereophile.com, https://www.stereophile.com/content/gramophone-dreams-58-stax-sr-x9000-headphones-ear-phono-classic-bobs-devices-sky-20-sut
15. Best Headphones Series: Stax SR-X9000 electrostatic headphones - The Absolute Sound, https://www.theabsolutesound.com/articles/best-headphones-series-stax-sr-x9000-electrostatic-headphones/
16. SoundStageSolo.com - Stax SR-X9000 and SRM-T8000 Headphone System, https://www.soundstagesolo.com/index.php/equipment/headphones/443-stax-sr-x9000-and-srm-t8000-headphone-system
17. Stax SR-X9000 review - Headphones - www.Head-Case.org, https://www.head-case.org/forums/topic/19824-stax-sr-x9000-review/
18. STAX X9000, the clear winner : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/zx8cg7/stax_x9000_the_clear_winner/
19. STAX SR-X9000 — AUDIOKEY REVIEWS, https://www.audiokeyreviews.com/the-reviews/stax-sr-x9000
20. STAX SR-X9000 - Latest Flagship - Woo Audio, https://wooaudio.com/headphones/stax-srx9000
21. STAX SR-X9000 - Mimic-Audio, https://www.mimic-audio.com/products/stax-sr-x9000
22. STAX SR-X9000 Earspeaker Review - HomeTheaterHifi.com, https://hometheaterhifi.com/reviews/headphone-earphone/stax-sr-x9000-earspeaker-review/
23. Stax SR-X9000 Headphones: Yes, They ARE Better Than the SR-009S! - What’s Best Forum, https://www.whatsbestforum.com/threads/stax-sr-x9000-headphones-yes-they-are-better-than-the-sr-009s.34984/
24. HIFIMAN Susvara Planar Magnetic Headphone - Apos, https://apos.audio/products/hifiman-susvara-planar-magnetic-headphone
25. Susvara - Headphones & portable audio - HIFIMAN.com, https://m.hifiman.com/products/detail/275
26. Audeze - CRBN - Electrostatic Carbon Diaphragm Headphones - Sound Approach, https://soundapproach.com/audeze-crbn-electrostatic-headphones.html
27. Audeze CRBN Electrostatic Headphones, https://headphone.guru/audeze-crbn-electrostatic-headphones/
28. Dan Clark Audio Corina Electrostatic Headphones, https://bloomaudio.com/products/dan-clark-audio-corina
29. CORINA - HEADPHONES - Dan Clark Audio, https://danclarkaudio.com/headphones/corina1.html
30. Stax SR-X9000 Listening Impressions : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/s959tc/stax_srx9000_listening_impressions/
31. Recently learnt about Stax, I have two questions, can anyone help? : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/1c1e712/recently_learnt_about_stax_i_have_two_questions/
32. Stax SR-X9000 Impressions - The Elitist Journal, http://www.soundbsessive.com/stax-sr-x9000-impressions/
33. Stax Headphones SR-X9000 – Full Review, https://headphonesnstuff.blog/2022/07/24/stax-headphones-sr-x9000-full-review/
34. Who here has had Stax and then moved away from them? What have you got now and why? : r/headphones - Reddit, https://www.reddit.com/r/headphones/comments/1i60ic8/who_here_has_had_stax_and_then_moved_away_from/
35. STAX SR-X9000 Electrostatic Headphones - Audio46, https://audio46.com/products/stax-sr-x9000-electrostatic-headphones
36. Earphone and Headphone Market Size, Share and Research …, https://www.marketresearchfuture.com/reports/earphone-headphone-market-7628
37. High end Headphone Market Outlook: Growth and Insights, https://introspectivemarketresearch.com/reports/high-end-headphone-market/
38. Audiophile Headphone Market Size, Share, Trends - 2033 - Business Research Insights, https://www.businessresearchinsights.com/market-reports/audiophile-headphone-market-107572
39. Company History - Edifier, https://www.edifier.com/global/about-us-our-story
40. Edifier reviving the legendary audio brand STAX, https://www.edifier.com/us/news/press/edifier-revival-the-legendary-audio-brand-stax
41. Edifier continues search for perfection by reviving the legendary audio brand STAX, https://www.techpowerup.com/forums/threads/edifier-continues-search-for-perfection-by-reviving-the-legendary-audio-brand-stax.295424/
42. Dan Clark Audio Corina Reference Electrostatic Headphone | HeadAmp, https://www.headamp.com/products/dan-clark-corina
43. STAX SR-X9000 Flagship Electrostatic Earspeaker Headphone Owner’s Manual, https://manuals.plus/stax/sr-x9000-flagship-electrostatic-earspeaker-headphone-manual
44. STAX SR-X9000 Earpads, https://staxaudio.com/earpad/stax-sr-x9000-earpads
45. STAX Replacement Earpads for SR-X9000 Earspeakers - HeadAmp, https://www.headamp.com/products/stax-sr-x9000-earpads